ヤンゴンは、2006年までのミャンマー首都であった都市です。ヤンゴン川を河口から30km遡ったところにあるので、海路、空路での、 ミャンマーの玄関口となっています。
昔はOkkala(オッカラ)という名前で、2500年前の釈迦の遺髪を祀るためにシュエダゴンパゴダが建造された後に、 巡礼地として有名になりました。
当時は一般には「ダゴン」と呼ばれていましたが、1755年に、コーンバウン王朝の創設者であるアラウンパヤー王がミャンマーを 征服した際、戦いの終わりを意味する「ヤンゴン」と改名しました。
ポルトガル(人)の拠点であったシリヤム(現・タニン)がアナウベッロン王に破壊された後、ヤンゴンは国内に向けても、 国外に向けても重要な港となりました。
1852年の第2次英緬戦争にて下ビルマがイギリスに割譲され、イギリス統治政府はヤンゴンを英国風にラングーンと改めましたが、 ミャンマー王国の王都は引き続きマンダレーに置かれました。
ラングーンの都市計画は、英国人技師のLieutenant Fraserによってなされましたが、このFraser技師はシンガポールの 都市計画を立案した人物でした。
熱帯の木々、花々に飾られた、涼しく陰影に富んだ公園、美しい湖はいつしか、ヤンゴンに"Garden City of the East (東方の庭園都市)"という称号をもたらすようになりました。
ヤンゴンは約5百万人の人口がいるにもかかわらず、緑にあふれ、場所によってはジャングルといっていい状態にあります。
近代化の波にのまれておらず、独自のペースで独自の発展を遂げつつあるヤンゴンは、アジアの同規模の都市と比べても、全く違った印象を与えます。
夜になると大通りはおいしい食事や葉巻を供する屋台がひしめきあい、非常に活気づきます。植民地時代の古く汚れた建築群にさえ目をつぶれば、ヤンゴンがアジアで最も魅力的な都市であることに賛意を表する人は多いはずです。